†聖書からのメッセージ†

みなさん おはようございます。

聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*


題《

『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざが、この人に現れるためです。』(聖書)

ある時、イエス様と弟子達は、生まれつき目が見えない人のそばを通りがかりました。

すると弟子達はイエス様に、こう質問しました。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。両親ですか。」

エス様は答えられました。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざが、この人に現れるためです。」

そしてその後、地面につばきをされ、そのつばきで泥を作られ‥目の見えない人の目に塗って言われました。
「行って、シロアムの池で洗いなさい。」

彼が、イエス様に言われた通りシロアムの池に行き、目を洗うと、目が見えるようになりました。


この奇跡を知ったパリサイ人達は、ちょうどこの日が安息日だったため「その人は、神から出たのではない。安息日を守らないからだ。」と非難しました。

そしてそれだけでなく、彼らは、目が開かれた彼と彼の両親にまで、イエス様について‥また奇跡の詳細について追求していきました。

律法において、安息日にしてはならないことが、事細かに定められていて、パリサイ人達は、イエス様が行われた奇跡もまた律法違反にあたると主張したのでした。


安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ』という戒めは、十戒の中のひとつですが、これは元々私達が、普段の仕事を休み‥共に神様を礼拝するために定められた戒めでした。

けれども、それが段々エスカレートし、“安息日には これ以上の距離を歩いてはならない‥ これ以上の重さの物を持ち運んではならない”などの細かい律法ができていきました。

こういった背景から、パリサイ人達は、安息日に奇跡を起こされたイエス様のことを非難したのでした。


目が見えなかった男性は、イエス様によって目が見えるようになったことを率直に話したことにより、パリサイ人達からひどい扱いを受けた後 イエス様が彼を見つけ出して、こう聞かれました。
「あなたは、人の子(ご自分のこと)を信じますか。」

人の子とは、誰のことかをたずねた彼に、ご自身がそうであるとイエス様が、お答えになると彼は言いました。
「主よ。私は信じます。」
そして彼は、イエス様を拝しました。


このことを通してイエス様は、私達が真の神であるイエス様を信じ‥拝することこそが、安息日の本来の意義であることを示されたかったのではないかと思います。