†栄養剤は聖書の言葉†

みなさん、まだまだ寒い毎日ですが、お元気ですか(^ε^)?

私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。

みなさんの心の栄養剤は何ですか?


『イエス様は言われた。「…しかし 本当に必要なものは、そんなにあるものではありません。 いや 一つしかないのです。…マリアは それを選んだのです。」』(聖書より)


もし 自分の家に、大切なお客さんが来られたら、みなさんはどんな風に おもてなしされますでしょうか?

ある時、マルタとマリアという姉妹が イエス様や弟子達を家に招きました。

姉のマルタは ひたすら動き回り 必死でイエス様達をもてなし始めました。

そして、ふと我にかえり マリアの姿を探すと… マリアは ゆっくり腰を下ろし、イエス様のそばで 幸せそうな笑みをたたえておりました。

カチンッときたマルタは つかつかとイエス様のもとへやってきて…「なんにもしてないマリアに イエス様からも一言言ってやってください!」と言いました。

けれど イエス様は マルタに言います。

「マルタ、マルタ あなたは あれもこれもと 色々なことに気を配って、思い煩っていますね。 しかし 本当に必要なものは、そんなにあるものではありません。 いや一つしかないのです。…マリアは それを選んだのです。私の言葉を聞くこと以上に大切なことはありません。」


なぜ マルタは、マリアに対して、カチンときたのでしょうか。

それはマルタが、もてなしについて“美味しいものをいっぱい食べさせなければ!足もきれいに洗ってあげるべきだ!”という固定観念(価値観や枠)を持っていたからではないかと思います。

ですから、何もしないで ただ 座って イエス様の話を聞いていたマリアが ゆるせなかったのではないかと思います。

私も、自分の価値観やものさしで、つい人をさばいてしまいますが、気をつけないといけないと思います。

また、この少し前に“善きサマリア人の例え話”が書かれてますが、善きサマリア人は 普段自分達をさげすんでいた死にかけたユダヤ人を驚くほど献身的に介抱し、また宿の面倒までみてあげます。

このサマリア人のような、“敵を愛する愛”を どうしたら持てるでしょうか?


それは 私達の心の範囲内では無理なのだと思います。

あの イエス様のそばに 座ったマリアのように、イエス様のもとに行き そして イエス様から 愛を受ける時 私達を通して イエス様の愛が 他の人へと流れるのだと思います。


神様を喜ばそうと頑張るのでなく、何よりもまず大切なのは“神様を喜ぶこと”なのだと教えられました(^ε^)


神様に仕え そして人に仕える人生をおくれる人こそ、“本当の幸せ者”なのだと思います♪


『イエス様は言われた。「私がこの世にきたのも 誰かに仕えてもらうためではなく、むしら人々に仕えるためですし、また 多くの人々を救うのに、犠牲として自分の命を投げ出すためです。」』
『求めなさい。そうすれば与えられます。』(聖書より)


神様が 日々私達に愛を与えてくださることを、信じられますように!

ちなみに、イエス様は 決して マルタのことを拒否されたわけではなく、マルタへの いたわりの気持ちを持たれた上で 正しいことを諭されたのだと思います。
「マルタ、マルタ…」と 二度も名前を呼ばれた所に その愛が感じられます。