†栄養剤は聖書の言葉†
やっと秋らしくなりましたね!みなさんお元気ですか?
私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。
みなさんの心の栄養剤は何ですか?
『それから、イエス様は たらいに水を入れ、弟子達の足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで ふき始められた。』(聖書より)
イスラエル地方は 砂っぽいらしく、足は砂だらけになるようで、部屋に入る時に足を洗うことは日常的なことだったようです。
ある時、イエス様は たらいに水を入れ 弟子達の足を洗おうとされました。
驚いた弟子は「私の足を洗わないでください!」と言います。
イエス様は答えられました。
「もし 私が洗わなければ、あなたは私と何の関係もありません。‥主であり師である私が あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」
話は変わりますが、リーダーは、その集団の雰囲気をつくるように感じます。
例えば、病院の院長が大らかな気さくな人なら 何か病院全体の雰囲気が、良い雰囲気をしています。
けれども、病院の院長が 冷たく傲慢な人なら 病院の雰囲気は 殺伐とした冷たい雰囲気をしているように感じます。
クリスチャンのリーダーであるイエス様は、日々の生き様を通して、私達にどう生きるべきかを表されていきました。
時には、一人で神様と交わりを持たれ‥また病気の人々に寄り添い、癒やされ‥孤独を抱えている人々と食事をともにし、神様や天国の話をされました。
イエス様は、弟子達の足を洗われた後に こう言われました。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。‥互いに愛し合いなさい。私が あなたがたを愛したように あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
イエス様は、なぜこのタイミングで言われたのでしょう‥
それは、きっと 互いに愛し合う時に必要なものは、相手の足を洗うような へりくだった気持ちが必要だからなのではないかと思います。
人に何かしようとする時、“‥してやってる”という高慢な思いでするなら それは相手に伝わってしまうのかもしれません。
私は 祖母の介護をするようになってから 何度もこの壁にぶつかってます。
“‥してやってる”(‥してあげてる)という気持ちが強いほど、相手から理不尽な態度(認知症になると、本人の性格とは関係なく、こういうことが起きてくる)が返ってくると 腹が立つのです。
あまりに腹が立ち 壁を、思い切り足蹴りしたこともあります(ノ_-)
だから もうにっちもさっちもいかない時は、“イエス様 謙虚さをください!おばあちゃんを愛するための愛をください!”と祈りました。(いつも素直に祈れるわけではありませんが)
こういうことを繰り返しているうちに、カチンとくることがましになりつつあります。
これは、イエス様が私の高慢を赦し清めてくださり、“謙虚さ”を与えてくださっていることによる変化です。
イエス様は、十字架の上で私達の欠けや弱さを背負ってくださり、私達の罪の請負(うけおい)人となってくださいました。
私達は、イエス様を信じることによってすでに清いのですが、日々足は罪で汚れてしまいます。
ですから、日々イエス様によって、足を洗っていただき(罪をゆるしていただき)、愛を与えてもらう必要があります。
日常生活(介護や子育てや、家族や仕事場での人間関係など)には、愛が必要ですね‥ほんと(;゜゜)ノ。
けれども、例え私達に“愛”が欠けていても大丈夫です(~v~)
イエス様のもとには、愛があふれています\(^∇^)/
『イエス様は言われる。「求めなさい。 そうすれば与えられます。」
「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」』(聖書より)