†栄養剤は聖書の言葉†
大阪は木々がきれいに色づいてますが、みなさんお元気ですか?
私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。
みなさんの心の栄養剤は何ですか?
『それから、イエスは ヨハネからバプテスマを受けられるために、ガリラヤからヨルダン川のヨハネの下に来られた。』(聖書より)
今から約2000年前のクリスマスの始まりである日に生まれたイエス様は、貧しい大工の子として育ち 日々成長されていきました。
そして、30歳になった頃 イエス様は、バプテスマを受けるため ヨハネという人の下へ行きました。
バプテスマ(洗礼)とは、神様を信じて生きていくことを決心した人が受けるもので、神様との結婚式のようなもので‥一度水つかり、そして水から出ることで、自分の罪が 神様によって清められたことを表しています。
ですから、最初ヨハネは 罪の無いイエス様が、バプテスマを受けられると言われた時、「あなたが 私の所においでになるとは どういうわけですか」と言いました。
それに対しイエス様は、「私は、自分のためにバプテスマを受けるのではありません。人々の罪を負う者として受けるのです。」と言われました。
そして、イエス様がバプテスマを受けられた時、見る見るうちに天が開かれ 神様の御霊がハトのように イエス様の上に下って来られ、天から“これは 私の愛する子である。 私の心にかなった者である。”という声が聞こえてきたのです。
その後、イエス様は 人々に神様のことを伝え また人々の病を癒され そして、十字架への道を まっすぐに歩んでいかれました。
ちなみに‥私は21歳の頃 洗礼を受けたのですが、その時は まだ神様のことも イエス様の十字架のことも、あいまいでした。
ただ、将来への不安や、色々な状況に上手く適応できない自分に落ち込み、時々パニック障害のようになることもあり‥(クリスチャンホーム育ちなので、なんとなく神様は信じてましたが)改めて神様に救いを求めたような感じでした。
洗礼式(私は、病院などでされる事が多い“滴礼”《水につからず、頭に水を少しかけてもらう方法》でしてもらいました。)は、祖父母の家で、牧師である叔父にしてもらいました。
その時、ほとんど横になっていることが多くなっていた祖母が、ソファーに横になって見ていてくれましたが、私が洗礼を受けた時 ボロボロと泣いていて‥また母親も、賛美歌を歌いながら、泣いていました。
そして、それを見たのもあったからか、嬉しいような安心したような色々な気持ちだったからか、私も泣きました。
洗礼後、劇的な変化はありませんでしたが、以前よりも 聖書に書いてあることが、わかるようになりました。(これは、知人もそうだったようです)
また精神面も、当初よりひどくなることはなく、パニック障害のようになることも減ってきました。
今でも、うつっぽくなったり、軽いパニック状態になることはありますが、そんなときでも、神様に“平安を与えてください!”と祈ることで精神が保たれています。
ところで‥罪の根っこは、神様から離れていることです。
神様から離れていると、私達は、色々な間違いや勘違いをおかします。
けれども、神様を信じ 神様と共に生き始める時 私達は、神様によって、自分が犯していた間違いや勘違いを修正されていくのです。
そして、私達は、新しい本来の生き方や価値観を与えられていくのです。
新しい生き方や価値観には、平安がともないます。
では、神様を信じることとは、どういうことでしょう
「私は、人々の罪を負う」と言ってくださったイエス様が、十字架の上で 私達の罪を背負ってくださったことを信じることが、神様を信じることの根っこのようです。
イエス様の十字架によって、私達は 新しい生き方や価値観‥そして 最もすばらしい“永遠の命”が与えられるのですね。
『古いものは過ぎ去って、見よ すべてが新しくなりました。』
『神様の子、イエス様を信じる人は、永遠の命を持ちます。』(聖書より)