†栄養剤は聖書の言葉†
大阪は雨ですが‥みなさんお元気ですか?
私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。
みなさんの心の栄養剤は何ですか?
『すると 人々が 中風を患っている一人の人を床に寝かせたままで、イエス様のもとに運んできた。 イエス様は その人々の信仰をごらんになり‥』(聖書より)
ある時、イエス様のもとに、中風を患った人を床に寝かせたまま運んできた人々がやってきました。
床に寝かせたままということは、板か何かに乗せてきたのだと思いますが、運んでくる途中ではいろんなことがあったことでしょう
人々の嘲笑や白い目もあったのかもしれません
彼らがそこまでした動機は、ただ“イエス様ならなんとかしてくださる”という思いひとつでした。
その純粋な気持ちを見抜かれ イエス様は、中風の人をすっかり癒やしてくださいました。
帰り道はもう板なんか必要ではありません。
中風の人を囲んで、人々はさっそうと帰路についたことでしょう
そして、みんなで一緒にお祝いしたかもしれません。
私達もまた、イエス様を純粋に信じて生きていく時、時には周りの人々から白い目で見られたり、嘲られることもあります。
けれども、この人々からの嘲りは、私達が信仰に立っていることの証であるともいえます。
もし私達が、世の中と妥協し そこまで真剣にイエス様を信じて従おうとしないなら、きっと誰からも嘲られることもないでしょう。
私達は、もともと あの中風を患っていた人のように、罪という病によって心がむしばまれていました。
けれども、罪からの救い主であるイエス様と出会い、罪の中から救い出されたのです。(これがクリスチャンです)
クリスチャンも そうでない人も、皆同じで ただ違うのは、罪の中から救い出されたかどうかです。
私達が、罪の中で苦しんでいる誰かを 昔の自分と重ね、そして その人をイエス様のもとにお連れする時、イエス様はその人もまた罪の中から救い出してくださいます。
もしも、読んでくださっている方で、周りに自分をイエス様のもとに連れて行ってくれる人がいなければ、お近くの教会に行ってみてください。(日本聖書刊行会が出している聖書を使用されていれば間違いありません)
そうすれば、聖書を通して‥牧師さんのメッセージを通して‥賛美歌を通して‥必ずイエス様が心に触れてくださいます。
話は変わりますが‥今朝 祖母がベッド(高さ1メートルくらい)から落ちてしまいました。
頭の方だけ柵をして、足の方に柵をしておらず(ほとんど動かないので、いつもはこれでも大丈夫なんですが)、足から落ちてちょうど頭が柵のところで引っかかって 私が目が覚めて祖母をつかみました。
あと十秒遅ければ、きっと真後ろに倒れていました(T_T)
ひとりでは持ち上げられず、叔父に連絡したら ちょうど早朝の仕事の後、銭湯に行っていて お風呂から上がったところだったそうで、すぐに来てくれました。
落ちた後、祖母のたんが、からみ始めていたから ギリギリセーフでした‥
神様、感謝です(T_T)
『神は愛なり。』
『イエス様は言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な者でなく病人です。私は 正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」』(聖書より)