祖母のことです。
先週の日曜日に、祖母 河合喜代子が、天国に召されました。
一週間くらい前から体調を崩し、肺炎となり 3日の朝 息をひきとりました。
いつものように、痰の吸引をしパット交換をし 胃ろうからの注入をしようと 準備して 祖母のところに戻ってきたら、呼吸が止まっていました。
以前聞いた “人間は、全ての機能が停止した後も 聴覚だけは最後まで残っている”という話を思い出し 「イエス様が一緒やから大丈夫やで… 例え 死の影の谷を歩む時も災いを恐れません…ありがとう」と伝えました。
数ヶ月前に、往診をお願いしている先生と話し合い、もし呼吸が止まった時は、救急車を呼ばず、先生に来てもらって死亡診断をしてもらうということになっていたので(救急車を呼ぶと、場合によっては人工呼吸器をつけられてしまうという話を聞いていたので)、救急車は呼ばず、先生を待ちました。
一応、何度か心臓マッサージや人工呼吸をしました(自己流で)が、状態は変わらずでした。
この日は日曜日で、先生は遠方にいてて、夕方まで来れなかったんですが、ちょうど前日に点滴をしに来てもらっていたので、病院に運ばれなくても大丈夫だったようです。(最後の診察から24時間以上経ってしまうと、色々問題が出てくる場合もあるようです)
生前 たった一度だけ お葬式の話をしていて、“キリスト教式で”と言っていたので (祖母の息子の)叔父は仏教徒なんですが キリスト教式で式をするができました。
最後 体調を崩したのは 私がしたことが原因でもあり 悔やむ思いもありますが、 ちょうど 約1ヶ月前に 初めて“おばあちゃんと別れる覚悟ができましたので、できるだけ早く天国に連れて行ってあげてください。 もう私は 大丈夫です。”と祈っていたので 神様が そうしてくださったのかなとも感じています。
クリスチャンとは、イエス様が 私達の罪を背負って十字架で死んでくれたこと また3日目によみがえられたことを信じる者ですが‥ 祖母は81才の時にイエス様のことを信じました。
約5年、一緒に暮らしまして‥最初は“恵ちゃーん(私の名前です)”ばかりでしたが 後半はほとんど“イエス様”でした。
天国に行く2日前も“イエス様 おるか?”と言うので“うん いつも一緒にいてくれてるで”と答えると“そうか”と笑っていました。
今も イエス様のもとで 穏やかに過ごしていることを信じます。
祖母が目の前からいなくなり、やっぱり寂しいですが、祖母が召されたことで“天国”がいっそうはっきりとした存在となり、いつかまた祖母達と再会できることが新たな希望となりました。
今まで 祖母のことを祈ってくださった皆さん どうもありがとうございました。
祖母も感謝していると思います。
『しかし事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。』
『イエス様が、彼らの目の涙を すっかりぬぐい取ってくださる。 もはや 死もなく、悲しみ 叫び 苦しみもない。 なぜなら 以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』(聖書)