†聖書からのメッセージ†
みなさん こんにちわ。
聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*
題《心ゆるせる方》
『私は、正しい人を招くためではなく 罪人を招くために来たのです。』(聖書)
ある時 イエス様は、自宅に罪人や取税人や弟子達を招き食卓を囲んでいました。
その様子を見て律法学者達は言いました。
「なぜ あの人(イエス様のことです)は 取税人や罪人達と一緒に食事をするのですか」
するとイエス様はこう答えられました。
「医者を必要とするのは、丈夫な者ではなく病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
当時のイスラエルにおける取税人というのは、ローマ帝国の税金を集める仕事をしていたようです。
その多くはユダヤ人であり、取り立て方は各自にゆだねられていたため、彼らはたいてい実際とるべき金額よりも多く税金を取り立てていたようで‥周りのユダヤ人達からは嫌われていたようです。
また、遊女なども罪人とみなされていたようですが、当時は経済的に厳しい独り身の女性達の中で、遊女となっていた人もいたようです。
当時は、律法が本質を見失いエスカレートして数も膨大になり、その律法一つひとつを守ることが義であり‥守らないことが罪という価値観が、根深くありました。
そういう価値観の下、律法を守っていた律法学者やパリサイ人達は、己を義とし‥、取税人や遊女など律法を守っていなかった人々を“罪人”と呼び、見下し、また非難していたようです。
ですから、パリサイ人や律法学者達にとって、罪人と一緒に食事するなど考えられないことであり、イエス様が彼らと家族のように交わっていることを見て驚いたことと思います。
自宅に招き 一緒に食事するということは、その相手に対し心をゆるしているともいえると思いますが‥イエス様は、親しい友と交わるように弟子達や罪人とみなされていた人達とも交わられたのかもしれません。
そして、彼らは イエス様と交わる中で 時には劇的に、時には少しずつ変化していったようです。
彼らの心は、律法学者やパリサイ人達による罪の指摘や警告によっては変わりませんでしたが、イエス様との交わりによって罪から離れていくことができました。
それは彼らが、イエス様の心根にある愛を感じとったからだと思います。
イエス様は、当時共に過ごした人々に‥また現代の私達に こう言われます。
「私が あなたの代わりに あなたの罪を背負う。 だから あなたは、新しく生きなさい。」
私達は、このイエス様の言葉を信じ‥イエス様の愛を受け取った時から、罪の中から解放されて、新しい人生を歩むことができるのですね
『見よ。私は戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。』(聖書)