†聖書からのメッセージ†

みなさん こんにちわ。

聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*


題《心の穴》


『私は悲しみのあまり死ぬほどです。』(聖書)



エス様と弟子達は、共に過ぎ越しの祭の食事をされた後、オリーブ山に出かけていきました。

そして、ゲッセマネという場所に行かれた時、イエス様は深くもだえ始めて言われました。

「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで目を覚ましていなさい。」

その後、続けてこう祈られました。

「アバ父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください。」


エス様は、祈りの中で“悲しみのあまり死ぬほどです”と言われました。

おそらく イエス様は、この後 ご自身の身に起こること(十字架にはりつけにされること)を知っておられたのだと思われます。

これから経験される人々からの罵倒やあざけりの声、鞭打ち(当時の鞭には鋭利な陶器のかけらがついており、背中の肉をえぐるようなやり方だったようです)の痛み、十字架に全裸で釘付けにされる苦しみや屈辱‥

また 愛する弟子達の裏切りを思い、イエス様は深い悲しみを覚えられたのではないかと思います。


エス様が祈られた中に“この杯を私から取りのけてください。”とありますが 聖書の注解書には “この杯”とは、“父なる神から引き離される苦しみ”のことであるとありました。

エス様が、この時 最も深く悲しまれた理由は、十字架での苦しみでもなく‥弟子達の裏切りでもなく‥父なる神と引き離されることだったようです。


エス様は十字架にかけられたことにより、私達人間の罪に対する罰を引き受けてくださいましたが、この罰とは父なる神様と引き離されることでした。

エス様は十字架において、初めて父なる神様と引き離されましたが、それはつまりその時以外は父なる神様が、いつも共におられたということを意味しています。


そして私達人間もまた、元々は父なる神様が共にいてくださる存在でした。

けれど サタンの誘惑により、アダムとエバが罪を犯してしまった時から、神様と離れて生きることになってしまったのです。

ある牧師さんから“私達人間には神様にしか埋められない心の穴(隙間)がある。”という話を聞いたことがあります。

人間は、誰もが不完全で 誰かを完全に支えることはできません。

例えば家族や友人やパートナーに それを求めた場合、相手に不満を覚えることになってしまいます。


けれども、神様は私達の心の穴を完全に埋めてくださり、私達のことを支え続けてくださいます。

この神様と共に歩む時、私達は周りの人々と、より良い関係を築くことができ、また本来の生き方を取り戻すことができるのです。


アダムとエバが罪を犯し、人間は神様と引き離されてしまいましたが、再び 私達が神様と共に生きる道が用意されました。

その始まりが“クリスマス”です。

クリスマスを日本語に訳すと“イエス様を拝しに行く”となりますが これは、イエス様がお生まれになった時、天文学の博士達や羊かい達がベツレヘムに集まったことを表しています。
エス様がお生まれになることを何百年もまえから預言されていましたが その預言の中に“インマヌエル”という言葉が出てきます。

インマヌエルとは“神は私達と共におられる”という意味です。


私達は、このイエス様を歴史的人物として客観的に見るのでなく、私にとっての神様であると信じる時から、あの神様にしか埋められない心の穴がイエス様によって埋まり 神様と共に歩む豊かな人生が始まるのですね。



『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(聖書)