†聖書からのメッセージ†
みなさん こんばんわ。
聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*
題《架け橋となられたイエス様》
『そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。』(聖書)
律法学者や祭司長達は、イエス様を不当に裁いた後、ローマのユダヤ総督であったピラトのもとへ連れて行きました。
ピラトは、イエス様が何も罪を犯していないことを知っていたため、最初はイエス様を裁くことは考えていなかったようです。
そして、ちょうどその時、民衆が願う囚人を一人だけ赦免する祭りだったので、ピラトは民衆に イエス様を赦免するのかと問いました。
けれど、すでに祭司長達が民衆を扇動していたため 民衆が赦免を願ったのは、バラバという殺人罪の男性でした。
民衆の暴動を恐れたピラトは、バラバを赦免し イエス様を十字架の刑に処することを決定しました。
そしてイエス様は、ローマ兵達に罵倒され殴られながら 処刑場に向かわれました。
処刑場に着いた時、彼らは没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしましたが イエス様はそれをお飲みになりませんでした。
没薬には、痛みを麻痺させる作用があり、処刑の際 痛みによる失神が起こらないで、なるべく長い間苦しませるために、飲ませていたようです。
イエス様が十字架の苦しみを受けられたのは、私達の罪のつぐないのためであり また私達の苦しみを知ってくださるためでした。
病やケガによって、とてつもない痛みを経験された方もおられるかもしれませんが イエス様が、没薬を拒まれたのは、その痛みを共に感じてくださるためだったのではないかと思われます。
その後 イエス様は「わが神 わが神。どうして私を お見捨てになったのですか」と言われました。
イエス様は、十字架の上で、私達が本来受けるはずであった罰を受けられました。
その罰とは、神様から完全に引き離されるということでした。
イエス様は、よみがえられるまでの間 この悲しい寂しい状況の中におられたのです。
けれども、イエス様は 十字架で息を引き取られて3日目に復活されました。
そのことにより神様は、私達もまた 同じように、死を超えた復活に預かることを約束されました。
イエス様が 十字架で息を引き取られた瞬間、神様の臨在の場を聖絶するための神殿の幕が真っ二つに裂けたと聖書にあります。
これは、イエス様が私達の罪をあがなってくださったことによって、これまであった神様と人間の間の隔たりがなくなったことを意味しています。
最初の人間であるアダムとその妻エバが、罪を犯してしまったことにより 神様と人間の間には、深い溝ができました。
このことが、私達人間が罪に苦しむ理由なのです。
けれど イエス様のあがないによって、この深い溝に橋がかけられました。
イエス様ご自身が、神様と私達の架け橋となられたのです。
神様を信じることによって、私達はこの橋を渡ることができ‥それによって、私達は罪の中から救い出され 神様の前に、義と認められるのですね
『ですから、信仰によって義と認められた私達は、私達の主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(聖書)