†聖書からのメッセージ†
みなさん おはようございます。
聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*
題《荒野が天国に‥》
『何はともあれ、あなたがたは、神の国(天国)を求めなさい。』(聖書)
ある時、イエス様は弟子達に話されました。
「命のことで何を食べようかと心配したり、体のことで何を着ようかと心配したりするのは止めなさい。
命は、食べ物より大切であり、体は着物より大切だからです。
カラスのことを考えてみなさい。種まきもせず刈り入れもせず、納屋や倉もありません。
けれども、神が彼らを養っていてくださいます。
あなたがたは、鳥よりも、はるかに優れたものです。
‥ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。
しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
しかし、今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。
まして、あなたがたにはどんなによくしてくださることでしょう。
‥何を食べたらよいか、何を飲んだらよいかと探し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。
‥何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は それに加えて与えられます。」
食べ物や着る物を買うためには、お金が必要で、私達は、このお金が減っていく時に不安を覚えます。
イエス様の弟子達は、それまでついていた職業をすっぱりと止めてイエス様に従っていましたので、お金の心配もあったことと思います。
けれどもそんな中イエス様は、弟子達に「心配したりするのは止めなさい」と言われました。
そしてさらに、「何はともあれ、神の国を求めなさい。」と続けられました。
“神の国を求める”とはどういうことでしょうか。
イエス様は、続けてこう話されました。
「小さな群れよ。恐れることはない。
あなたがたの父は、喜んで御国をお与えになるからです。
持ち物を売って、ほどこしをしなさい。」
“持ち物売ってほどこす”とは、今置かれている環境で、できることを精一杯していくことだと思われます。
そして、私達がそれぞれの仕方で“持ち物を売ってほどこす”時、神様は私達に御国(神の国)を与えてくださいます。
私達が、今与えられている環境が、神様からのものであると信じて生活していく時、その家庭や職場、また様々な交わりの場が、神の国となるのです。
神様は、私達の間に存在する、この神の国を追い求めよと言われたのではないかと思います。
話は変わりますが、みなさんは、宮沢賢治の詩“雨にも負けず”のモデルという説もある斉藤宗次郎という人をご存知でしょうか。
彼は、1877年岩手県花巻で禅宗の寺の三男として誕生し、その後教師をしていた頃、内村鑑三の本との出会いをきっかけにクリスチャンとなりました。
クリスチャンとなった宗次郎に、周囲の人々は冷たくあたり、親からは勘当されました。
そして、彼の長女である愛子ちゃんは、学校で“やその子ども”と言われお腹を蹴られ、腹膜炎を起こし数日後になくなってしまいました。
*“やそ”とは、中国語で“イエス”という意味ですが、当時はクリスチャンへの軽蔑語として使われていました。
教師をしていた宗次郎は、日露戦争に反対したということで教職を追われ新聞配達をしていました。
その後、結核をわずらいながらも、彼は新聞配達中、一軒ごとに立ち止まって祝福を祈り、雪が積もると通学路の雪かきをしていたそうです。
また仕事帰りには、病人を見舞いはげましていたそうです。
彼が、内村鑑三の要請を受けて東京に向かう時、駅には大勢の人々が集まり、中には町長や神主や僧侶までいたそうです。
彼が、花巻の人々に精一杯のことをしていく中、花巻の人々の心が変えられていったのではないかと思います。
私達もまた、宗次郎さんのように、周りの人々に精一杯仕えていく時、どんなひどい環境も、神様によって、天国のようなすばらしい場所へと変えられていくのですね。
『神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』(聖書)