†聖書からのメッセージ†

みなさん おはようございます。

聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*


題《新しい契約》


『この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』(聖書)


ある時、イエス様は例え話をされました。

ある人に息子が二人あり、弟が父に『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言ったところ、父は身代を二人に分けてやりました。
それから幾日もたたぬうちに、弟はなにもかもまとめて遠い国に旅立ち、放蕩して 湯水のように財産を使ってしまいました。

なにもかも使い果たした後で、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り果てていました。

けれど彼は我に返り、父親の元に帰ることを決心しました。
彼が、家からまだ離れた所にいたにもかかわらず、父親が遠くから走り寄り、彼を抱きしめ口づけし喜びました。

彼が、父親に「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もうあなたの子と呼ばれる資格はありません。」と言い‥「雇い人にしてください。」と続けようとした時、父親はしもべ達に 彼のための着物や靴や指輪を用意するよう‥また祝会を開くよう命じました。

父親は喜びを込めて言いました。
「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」


この聖書箇所は、新約聖書に書かれています。

*聖書は、旧い契約の書である『旧約聖書』と、新しい契約の書である『新約聖書』とで成り立っている書物です。

旧約聖書にも、放蕩人のことが出てきますが、当時は放蕩人は石打ちの刑によって殺されなければならないとされていました。

旧約聖書には、神様の選びの民であるイスラエル人が、“神様に背き‥神様から罰せられ‥悔い改め‥ゆるされる”という内容が、何度も繰り返されています。
神様は、時に民を厳しく罰せられましたが、完全に見離されることはありませんでした。

そんな中、神様は ある時、ご自身のひとり子であるイエス様によって、この人間が繰り返す悲しみに決着をつけられました。

それが、十字架のあがないです。


このイエス様の十字架のあがないによって、『罪→罰』であった“旧い契約”が、『罪→イエス様による赦し』という“新しい契約”に変えられました。

また、神様は選びの民であるイスラエル人以外の民にも、この恵みを与えてくださいました。


エス様は、私達人間の罪をあがなうために十字架で死んでくださり‥そして3日目に復活されました。

このことにより、私達は罪と、罪の結果である死の問題から解放されるのです。

放蕩息子の父親が、自分の元に帰ってきた息子を大喜びで迎えたように、神様は私達が 神様の元に立ち返ることを、待ち望んでおられます。

私達が、イエス様による救いを受け入れるならば、神様が私達の愛なる父親となってくださいます。



『あなたがたは、人を再び恐怖におとしいれるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。
私達は、御霊によって、神を「アバ、父」と呼びます。』(聖書)

*アバとは、ヘブル語でお父ちゃんという意味です。