†聖書からのメッセージ†
みなさん おはようございます。
聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*
題《友なるイエス様》
『ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。』(聖書)
ある時イエス様は、エリコという町を通られました。
エリコには、ザアカイという取税人の頭がいました。
彼はイエス様のことを一目見てみたいと思いましたが、背が低かったため見ることができませんでした。
ですから彼は、いちぢく桑の木に登りイエス様が前を通られるのを待っていました。
するとイエス様は、いちぢく桑の木の前で立ち止まり‥ザアカイに声をかけられました。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエス様を迎えました。
周りの人々が、「イエス様は、罪人のところに行って客となられた。」とつぶやく中、ザアカイは言いました。
「主(イエス様のことです)よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人達にほどこします。
また、だれからでも、私がだましとったものは4倍にして返します。」
それを聞いて、イエス様は言われました。
「今日 救いが、この家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ザアカイは最初、背が低かったためイエス様の姿を見られませんでした。
けれどもザアカイは、それであきらめず、いちぢく桑の木に登ってまでしてイエス様を一目見ようと思いました。
大人が木に登るということは、結構恥ずかしいことのように思われますが、なぜ彼は、これほどまでにイエス様を見たかったのでしょうか。
話は変わりますが‥昔、ある金持ちの初老の女性が、自ら命を絶ちました。
残された彼女の日記には、毎日こう書かれていました。
「今日も誰も声をかけてくれなかった。」
どれだけお金があっても、孤独であるなら、人は幸せになれないのかもしれません。
ひょっとするとザアカイも、大金に囲まれながらも、どこか孤独や虚しさを感じていて、“イエス様なら、自分を幸せにしてくれるかもしれない”と思ったのかもしれません。
そしてイエス様は、いちぢく桑の木の前に立ち止まり‥ザアカイに声をかけられました。
「今日、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、取税人の頭でしたが、当時取税人は、人々から税金を集める際、自分の稼ぎの金額は、各自で自由に決めることができたため、ほとんどの取税人がそのことで私服を肥やしていたようです。
ザアカイもまたそのうちの一人でしたが、イエス様は今ザアカイにとって必要なことは、罪の指摘ではなく、友となることであると感じられたのかもしれません。
そして、人々から白い目で見られながらもイエス様は、ザアカイと共に時間を過ごしました。
ザアカイは、イエス様と交わる中で自分の罪が示されたのでしょう。財産の半分を貧しい人に‥だましとった分は、4倍にして返す決断をしました。
ザアカイが感じていたであろう虚しさや孤独を、私達もまた覚えることがあると思います。
けれども、ザアカイの友となられたイエス様は、私達の友にもなってくださいます。
私達が、イエス様に心を開くならば、イエス様は私達が抱える虚しさや孤独を、愛によって癒やしてくださいます。
『主(神様)は、心の打ち砕かれた者を癒やし、彼らの傷を包む。』(聖書)