†聖書からのメッセージ†
みなさん おはようございます。
聖書からのメッセージを書いていますので、良かったら ご覧になってください*
題《祈りの力》
『「私の家は、祈りの家でなければならない。」と書いてある。』(聖書)
ある時、イエス様はエルサレムの都をご覧になり、泣きながら言われました。
「おまえも、もし この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。
‥そして、おまえとその中の子ども達を地にたたきつけ、おまえの中で 一つの石も、他の石の上に積まれたままでは残されない日がやってくる。
それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
そして、宮に入られたイエス様は、商売人達を追い出し始め、こう言われました。
「『私の家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。
それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
神殿という場所は、人々が礼拝をしに来る場所でした。
当時の礼拝において、人々は罪のあがないのため、動物のいけにえをささげていました。
神殿の中で売られていたハトは、そのためのものでしたが、商売人は、法外な値段でハトを売っていたのでした。
また両替人も、献金のために必要な専用貨幣『聖所のシェケル』を両替する際に儲けが出るように設定していました。
そして、この両者からリベートを取っていたのは、聖職者である祭司長達でした。
このように、祭司長や商売人そして両替人達は、互いに協力しあって、礼拝をしに来た人々から不当に利益を得ていたようです。
このことに対して、イエス様は抗議されながら言われました。
「私の家は、祈りの家でなければならない。と書いてある。」
イエス様ご自身の家とは、神殿のことであり、現在の教会のことであります。
教会とは、本質的には建物のことではなく、神様を礼拝をするために集まった人々のことであり、またその一人びとりを意味しています。
イエス様は聖書の中で、よく祈っておられますが、それは 父なる神様と交わる中で、必要な力を受けられ‥また父なる神様の御心を知るためであったのではないかと思われます。
父なる神様とイエス様とは、本質は同じなので、祈る前から、イエス様には父なる神様の御心がわかっておられたかもしれません。
それでも、イエス様が祈りを大切にされたのは、当時の弟子達やクリスチャン‥そして今を生きる私達が、その姿に倣うためだったのではないかと思われます。
神様の器として、使命を果たしてこられたクリスチャンに共通しているのは、おそらくその人が“祈りの人”であったということだと思います。
イギリスの孤児の父と言われたジョージ・ミュラーという人は、当時 町にあふれていた孤児約一万人を祈り一本で養ってきたと言われています。
彼は、元々 皆からは“どうしようもないやつ”と言われていましたが、彼は神様と出会い‥そして使命が与えられました。
おそらく、ジョージさんも孤児を養いながら、時に不安や心配を覚えたことと思います。
けれども、彼は日々の祈りの中で、神様から力や知恵‥そして愛をもらいながら生きていかれたのだと思われます。
私達は、神殿で不正を働いた祭司長達のように生きることもできますし、ジョージ・ミュラーさんのように“祈りの人”として生きることもできます。
もし、私達がジョージさんのように“祈りの人”として生きる方を選ぶならば、イエス様が喜んでくださる祝福に満ちた人生を歩むことができると信じます。
『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』(聖書)