†栄養剤は聖書の言葉†
みなさん 大きい台風でしたが大丈夫でしたか?
私の心の栄養剤は聖書の言葉です。
みなさんの心の栄養剤は何ですか?
『…イエスは 深く恐れ、もだえ始められた。』(聖書より)
みなさん、教会の上には、なぜ十字架が掲げられているか ご存じでしょうか?
あの十字架は イエス様がはりつけにされた十字架を表しているのです。
いったいなぜ イエス様は十字架にはりつけにされたのでしょうか…?
イエス様は 十字架にはりつけにされる前に、ゲッセマネという所に行き祈られました。
「父よ…どうぞ この杯(十字架刑のこと)を 私からとりのけて下さい。…しかし 私の願うことではなく あなたの御心のままをなさってください。」
イエス様は 今から 御自分が十字架にはりつけにされることを知っておられたのですね。
例えば私達も 手術をすることになったとしたら、手術が近づくにつれ恐れが増してくるのだと思います。
手術は麻酔が使われますが、十字架刑には当然 麻酔などありません。
十字架刑は当時 罪人に対する、最も重い刑罰であったようです。
イエス様には、何ひとつ罪はありませんでしたが、イエス様を妬む人々による陰謀によって、十字架刑に処されることになりました。
イエス様は 十字架刑の前に、背中をムチで39回打たれたのですが、ムチといっても先にいくつも鋭利な陶器の破片などがつけられており それで背中の肉を、はがすようにして傷つけていたようで、中には このムチ打ち刑だけでショック死する人もいたようです。
そして 背中にひどい傷を負いながら、イエス様は全裸にされ、両手両足を太いクギで十字架に 打ちつけられました。
それから十字架は 皆がよく見えるように、高く地面に立てられました。
全裸ということは ひょっとしたら、途中 排泄物もそのまま 垂れ流しの状態だったかもしれません。
全裸で見せしめにされるだけでも、本当にとてつもない辛さではないかと思います…
イエス様は、それゆえに私達の心身共の痛みも…また恥の辛さも、心底わかってくださいます。
途中 昼間であるのに、真っ暗になったと聖書にありますが、それは父である神様が イエス様のことをあわれんでそうされたのでは?という話を聞いたことがあります。
いったいなぜ イエス様は こんな酷い目に会わなくてはいけなかったのでしょう?
それはひとえに 私達人間の罪のためです。
神様は“愛の方”であると同時に、“義の方”でもあられます。
私達が犯す罪には 小さいものから大きいものまでありますが、どれも神様の前には同じであり 罪は罪なのです。
しかし 罪の中で最も重いもの…それは 詐欺でも強盗でも人殺しでもなく、神様から離れていることです。
私達人間は 神様から離れているから、もろもろの罪を繰り返してしまうのです。
人間は神様が創られたものですから、神様と一緒であることが一番自然なことなんですね。
“クリスチャン”というと 何か清いイメージがある方もおられるかもしれませんが…、決してそうではなく クリスチャンとは ただ自分の罪のために死んでくれたイエス様の存在を知り 信じている者に過ぎません。
そして クリスチャンが何か良いことをするのも、その人の人格ゆえではなく、イエス様への恩返しのようなものなのですね。
また神様が、イエス様の命とひきかえに私達に与えてくれたものは、罪の赦しと同時に 永遠の命であることもクリスチャンは信じています。
そしてさらに…神様の子どもとされ、神様が“お父さん”となってくれたことも\(^ー^)/
『神様のひとり子 イエス様を信じる者は、永遠の命を持ちます。』
『神様は言われる。「私は、あなた達の父となり、あなた達は私の息子、娘となる。」』(聖書より)
みなさんの心に イエス様の愛が流れますようにm(_ _)m