†栄養剤は聖書の言葉†
今日から7月ですね☆みなさんお元気ですか?
私の心の栄養剤は 聖書の言葉です。
みなさんの心の栄養剤は何ですか?
『先生 この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためでしょうか。本人でしょうか。それとも両親でしょうか。』(聖書より)
イエス様や弟子達は、旅の途中で ある生まれつき盲目の人と出会います。
弟子達は、ぶしつけに言いました。
「先生 この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したからでしょうか。本人でしょうか。それとも、両親でしょうか。」
イエス様は答えられました。
「本人でも両親でもありません。だれが罪を犯したのかなどと聞いて そこに解決があるでしょうか。」
弟子達の言葉は、失礼なように感じますが けれど この思いは、私達の中にも ひそんでいるものではないでしょうか。
また何か悪いことが 身に起きた時、どこからかこんな声が聞こえることもあるかもしれません。
“バチがあたった”“先祖のたたりだ”など‥
因果応報(良いことをすれば良いことが‥悪いことをすれば悪いことが返ってくる)の価値観は、わりと よく見られるもので‥聖書の時代にも、この価値観があったようです。
イエス様は続けて言われました。
「この盲人が生まれつき盲目であったことも 神様の御心になかったことではありません。神様は この盲人の身の上に御業をなさろうとしておられるのです。」
そして この後イエス様は この盲目の人の目を開かれたのです。
まばたきの詩人、水野源三さんをご存じでしょうか。
彼は子どもの頃 近所の防火用水池で遊んでいて、赤痢にかかり‥高熱が続いたことで、首から下が動かなくなり、また口もきけなくなってしまいました。
そして 成長していくにつれ 自分の状態が 周りの皆と違うことがわかり‥彼は生きる力を失っていきました。
そんな中、宮尾牧師(進行性筋萎縮症という病を抱えていた)が、パンを買いにきた(水野さんの家は、パンを委託販売をしていた)ことをきっかけに、時々たずねてくるようになりました。
水野さんは、宮尾牧師の話を通して 少しずつ神様のことや イエス様の愛を知っていきました。
そして、水野さんは 以前から創作していた詩を通して 神様のことや 生きることの尊さを表現されるようになりました。
水野さんは、話せませんし また書くこともできませんので 詩の創作は、母親(後にお姉さんが引き継ぐ)との2人3脚でした。
まず ひらがなの文字盤を母親が、“あ か さ た な‥”の順に指差していき、水野さんがまばたきをしたところで止まります。
そして、次に 下に下がっていき まばたきをしたところの文字を紙に書いていく‥この作業を 延々とされたのだそうです。
水野さんの創作された詩は ちいろば先生こと榎本保朗牧師や教会の人々によって本となり‥今なお多くの人の心に、感動や勇気を与えています。
私達は 辛いことや悲しいこと、また情けないような失敗を 人生のマイナス部分だと考えがちですが、神様は このマイナス部分を全てプラスへと変えてくださるお方です。
ですから私達は 過去や現在について くよくよする必要はありません。
ふと マイナス部分を思い出した時、私達は‥“神様は このことを、どんな風にプラスへと変えられるのか?”と思うだけで良いんですね。o@(^-^)@o。
『‥神様が すべてのことを共に働かせて、益としてくださるのです。』
『何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあればどんなことでも、それを聞いてくださる神様に感謝の心を持って申し上げるがよい。そうすれば、私達の常識を越えた神様の平安が、キリスト・イエスによって、あなたがたの心と思いを守ってくださる。』(聖書より)